SENDAI CITY LIFE MAGAZINE

仙台で暮らす、東北で生きる

爾後の回想のために生きている(仙台で考え中)

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ふと気が付くと昔のことを考えている。百貨店の屋上遊園地廃線になった鉄道、1970年代の広告ポスター、今は無き純喫茶の内装写真、オート三輪の自動車、全照明式の丸ボディのエスカレーター。

かつてそこにあったもの。そこにあった暮らし。交わされた言葉。漂っていた空気。人々の期待。どれだけ文献で過去のことを調べたとしても、その場にいた人には敵わないと思う。活字にならない出来事に美しさが宿っている。実際に見たものや感じたものを語るときの言葉の豊かさに出会ったとき、たまらないほど羨ましくなるとともに、やるせない気持ちになってしまう。

子どものころから、「かつてそこにあったもの」に強く惹かれていた。決して古いもの、レトロなものが好きなのではなくて、今はもうここにはないという儚さが好きだった。自分がこれからどうやっても得ることのできないという意味では、幻想のようなものだった。仙台市電に乗ってみたい。エンドーチェーンで展示を見たい。荒城の月のサイレンが聴きたい。過去に行きたいという気持ちは、逃避願望でもあるような気がする。

けれども、わたしの持つ思い出もまた、少しずつ過去のものになっていることに気付く。さくら野百貨店ブックオフ。EBeanS地下のハンジロー。狭い東西連絡通路。仙台駅東口のゲームセンター。ZEEP SENDAI。東口のTSUTAYA。れんぼ〜のラーメン。なんでもなかった場所が過去になる。今見ているものだって、いつかはそうなる。

場所だけではない。だれかとの会話、自転車の速度、急な通り雨、バイトで作ったハンバーガー、mixiの日記、前略プロフィール、音楽室から聞こえた吹奏楽部のロングトーン、雨の匂い、わたしはそれぞれをぼんやりと忘れては思い出す。

わたしは爾後の回想のために生きている。どんなことでも後日談として、今見ているものたちを語る日が来るだろう。美しくなくていい。そこにあったものを、淡々と覚えている。