SENDAI CITY LIFE MAGAZINE

仙台で暮らす、東北で生きる

『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ 著/斎藤真理子 訳(筑摩書房)

『82年生まれ、キム・ジヨンは2016年に韓国で刊行され、ベストセラーとなったチョ・ナムジュによる小説で、日本では2018年に斎藤真理子の訳によって筑摩書房より出版された。また、映画化がされており、日本では2020年10月に上映される予定だ。

筑摩書房 82年生まれ、キム・ジヨン チョ・ナムジュ 訳 斎藤真理子

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』オフィシャルサイト

この本について、書き残しておきたいことは尽きない。今回は、

・原作小説への感想

・もっと男性に読んで/語ってもらうために

について書く。*1

 

原作小説への感想

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感想を一言では到底語り切れない小説である。言えることといえば、未読ならばすぐに小説を読んでもらいたいということ。すべての人に。

私たちの暮らす世界のありふれた場所にある差別や非対称性は、舞台となる国が違えど事実だ。いくつも水面下で飲み込んできたであろう、怒り・悲しみ・諦め・やるせなさ・絶望について、声にならなかった感情たちについて、それらを深く考えて来なかった男性としての私の生き方について考え、読み進めるのが苦しくなる。読了後、何度も読み返し、自問自答し、今でもずっと小説の物語と現在とが地続きであるような気持ちだ。

ここ数年、フェミニズムジェンダーに関する様々な問題が取り上げられ、その度に目を覆いたくなるほどに無配慮・無理解な言動が支持を集めることが度々ある。何度も踏み躙られる人々がいる。彼女ら/彼らが声を上げなければならないことや、声を上げた後の顛末について、複雑な気持ちを抱くことがある。声を上げないと届かないもの、あるいは、その声すら届かず、耳を塞ぐか口を塞がれるかする現実。時代は少しずつ変化している。しかし、本当に社会は良くなっているのだろうか。希望を手にすることができているのだろうか。

 

小説のラストは極めて絶望的なものだ。いや、ラストだけではない。「縁起でもない」女性として生まれ、クラスの男子に好意があるからと執拗な嫌がらせに遭い、出席番号や住民登録番号は男が先、学級委員の割合から既に不均衡があって、性被害は避けられず、必死に勉強したとて就職も男が優遇され、セクハラな面接を受け、就職しても賃金格差を含めて不当な扱いは続く。出口はない。家庭でも会社でもサークルでもネットでも、どこにだって不平等がある。不平等はきわめて無自覚的に現れる。特権を持つ側は黙殺する。

キム・ジヨンは「マムチュン(夫の稼ぎで遊び回る害虫のような母親というネットスラング)」という言葉を三十代くらいの男性から浴びせられ、精神を壊してしまう。妊娠中に通勤列車に乗り、大学生の女性から心ないことを言われる。ストーカー被害を受けたことに対し、父親から「本人が悪い」と叱責される。おそらく発言する側に加害の気はそれほど無いだろう。差別や不平等が無自覚的に定着しているのだ。

キム・ジヨンが就職した広告代理店に、キム・ウンシル課長という女性の上司がいる。彼女は、出産・育児休暇の制度を整え、飲み会でも部下を守り、女性が不利益なく働くことが出来るよう尽力している。しかし、そんな会社でも、残業や土日出勤はどうにもならず退職者が出るばかりか、キム・ジヨンの退職後に盗撮事件が起こる。小説中、女性たちが連帯あるいはひとりで戦って、事態の改善を目指す描写がいくつかあるのだけれど、どうしても特権を持つ側の意識や社会構造までは変えられない虚しさも同時に覚えてしまう。

小説内でキム・ジヨンの夫は、韓国の男性としてはそれなりに「理解のある」人物として描かれながらも、やはりキム・ジヨン自身の葛藤や痛みの先にまで到達し得ない。家事に対し「手伝う」という言葉を使ってしまうし、出産で失うものの非対称性についても理解が及ばない。決して対立構造をつくりたくはないが、かといって女性が抱えるものと男性が見ている世界の違いは、この小説を読んだからといって簡単に埋まるものではないように男性の私としては思う。決して諦めを表明したいのではなく、知ろうとすればするほど、近付こうとすればするほどに、私たちが(無自覚的にも自覚的にも)してきた振る舞いに対して絶望を感じる。

 

もっと男性に読んで/語ってもらうために

私がこの原作小説、および映画に対して言えることは、もっと男性に見てもらいたい、ということだ。

共感と絶賛の声、続々!|映画『82年生まれ、キム・ジヨン』コメントページ | 映画『82年生まれ、キム・ジヨン』オフィシャルサイト

映画に寄せられたコメントは男性が非常に少ない。もちろん、入り口としてまず女性に見てもらうため、女性からの声を多く取り上げ、「#これは私の物語」とハッシュタグを用いて宣伝する、そうした意向があることは否定しない。むしろそれでいい思う。だからこそ、私は私の意思として、できるだけ多くの人々にこの本を読み、映画を見て、自分の言葉を持ってもらいたいと思っている。

小説家の星野智幸さんが書評にて"私が果たすべき役割は、この本を男性にこそ読んでもらうためのガイドかもしれない"と書いていたが、私も似た思いを抱いた。

女性たちが深い共感を寄せる本書を、男性こそが静かに読みたい|単行本|星野 智幸|webちくま

女性蔑視や差別や性被害、そして主に男性が所有する特権について知ることは、決して私たち男性の不利益に繋がらない。「男らしさ」という押し付けから私たちを守ってくれることだってあるだろう。

男性としての特権に目を向けることは、個々の男性たちが積み重ねてきた
努力や、彼らが他の特権(例えば、容姿や金銭面での特権)をもたないがために被ってきた苦しみを否定することではない。ましてや男性としての自分を卑下することなどではない。

特権をもつこととは、特権をもたない人々がつねに気にしなくてはならな
いことを気にする必要がないということだ。それだけでなく、特権をもつ
人々は、「それは気にしすぎだよ」等と口をはさんで特権をもたない人々から見える現実を一方的に否定したり、あくまでその人個人の主観的なものだと断定したりできる立場に立っている。例えば、世間で評価されやすい容姿をもつ人は、そうした容姿をもたない人の悩みを「外見を気にしすぎ」等と一蹴して、容姿差別がある現実を否定することができる。したがって、特権性が高ければ高いほど、他の人びとの目に入らざるをえない現実の複雑さが見えていない可能性が高い。

実際、男性たちは、#MeToo 運動をはじめとして、数多くの女性たちから
発せられている痛切な訴えに接して、「一部の事実を誇張しすぎ」とか「女性の被害妄想」等と思っていないだろうか。男性たちには、女性たちが抱える困難が些細なもの、あるいは「事を荒立ててまで」対処すべき一大事とは映っていないのではないか。そのように見えるとき男性たちは、自分たちの特権的な立場から、女性たちが生きる現実を主観的なものと断定し、自分たちの目に映る現実が「現実の全体」であると早とちりしてしまっている。

参考資料「男性的」自己欺瞞とフェミニズム的「男らしさ」―男性性の現象学―(小手川正二郎)

「歴史的・社会的により多くの特権性をもつ立場にいるのが男性たちであるなら、自分の特権性に気づき、口を挟まずに他人の声に耳を傾けるようなあり方」が男性には求められていると、小手川は述べている。

切実な他人の声、としてこの小説をおすすめしたい。もちろん知ることによる痛みはある。今後の行動によって、なにかを手放す必要もあるだろう。しかし、その痛みより何十倍もの痛みを抱え、何十倍もの喪失をしてきた人たちがいるということに目を向けていたい。

そして何より、すべての人々が理不尽な不平等から解放されるためには、とりわけ特権を持ってきた男性に「女性から見た世界」が伝わる必要がある。

著者のチョ・ナムジュさんはインタビューでこう語る。

「よく女性差別や性犯罪で『あなたの妻や娘がその立場になったらどう思う?』と男性に問うことで想像を促そうとする人がいますが、結局、そんな個人的なことではダメなんです。大切なのは、制度や慣習など社会全体を変えることです」

『82年生まれ、キム・ジヨン』韓国で100万部なぜ売れた?女性たちの反撃は日本でも共感されるか | Business Insider Japan

社会構造を変えるために、多くの人に届いてくれないと困る声がある。だから私はこれからも学び続け、必要とあれば筆を執り、声を上げる。

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』書籍情報

『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ 著/斎藤真理子 訳

192ページ 1500円+税 筑摩書房

解説:伊東順子 装丁:名久井直子 装画:榎本マリコ

筑摩書房 82年生まれ、キム・ジヨン チョ・ナムジュ 訳 斎藤真理子

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』映画情報

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監督:キム・ドヨン/出演:チョン・ユミ、コン・ユ、キム・ミギョン

原作:『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ 著/斎藤真理子 訳

10月9日 全国ロードショー

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』オフィシャルサイト  *2

 

*1:「男性に」という部分は、すべての人に読んでもらいたいという前提がありつつ、私が男性だからこそ書けることがあるのでは、という思いから書いている。決して「男性に限定して」読んでほしいわけではない。

*2:余談だが、既に多くの方が表明している通り、日本版の映画のポスターならびにキャッチコピーには相当な違和感がある。例を挙げると枚挙に暇がないが、具体的なものをいくつか書いてみる。

・原作には希望が一切なかったが、(その後のムーブメントがあったにせよ)「希望の物語」と打ち出している

・原作では無理解だった夫が優しく見守って「大丈夫、あなたは一人じゃない。」と言っているように見えるポスターにされている

・母や妻や娘という役割しか与えられず、名前すらなかった女性達へ向けての本なのに、「だれかの母で、妻で、娘であるあなたに贈る」とナレーションが入る

キム・ジヨンは物語中ずっと孤独なのに、「あなたは一人でない」とされている

・ポスターが淡い色使いで、ぼんやりと「感動ストーリー」っぽさを示唆している

ただ、原作小説と映像版で内容が異なる可能性もある。トレーラーで男性が 「どうして気付けなかったんだろう、妻の異変に」と語っているように、もしかしたらより理解のある男性として夫が振る舞う可能性もあるし、原作で描かれなかった発症後のストーリーが足されるのかもしれない。映画の公式サイトに寄せられるコメントにも、原作との差異を仄めかすものがある。

とはいえ、もう少し原作に寄せた宣伝はできなかったものか、と思う。このポスターだけ見て原作を読んでいない人に、「なんか知らないけど、感動の物語なんでしょ?」とか言われたら私は感情的になってその人に何を言ってしまうかわからない。