MORIOKA CITY LIFE MAGAZINE

盛岡で暮らす、東北で生きる

発話の精度を高めていくことでAIに対抗する

ここ2週間、ボイスログという形で自分の発話を文字起こしして記事化するという行為を続けてきた。

発話によってもたらされる語彙と、「文字を書く」、つまりスマートフォンやパソコンで入力することによって紡がれる語彙は明確に異なる。どちらがより自分の本質に近いのかはわからない。少なくとも、私と対面で会うことがある人間にとっては前者が、私と会うことのない人間にとっては後者が、「私の言葉」として捉えているイメージに近いものであると言える。では、私はどちらを「私の言葉」として認識しているのだろう。

発話を文字起こしする行為は、こうした「私の言葉」へのイメージを再考させることに繋がる。自分が視覚的には認知していなかった発話の有害さ、もしくは面白さに触れ、自分がふだんづかいしている言葉はどんなものであるのかを改めて考えるきっかけになる。

私は自分が思っているより発話では「言葉が強い」。断言や一般化を多用することが要因だ。言葉の強さは人を傷付けることも、エンパワメントすることもあるだろう。思考の中ではいかに繊細で思慮深くても、出力された発話がそれを反映しているとは限らない。

対面する人々に伝わるのは発話であり態度である。私は私の発話を注意深く扱う必要性があるし、一方で、私の発話が持つ力を有効に使う権利がある。

 

おそらく人間はこれから、どんどん文章を「書かなくなる」。生成AIの台頭によって、長い文章を書くことがAIの仕事になるからだ。もちろん研究や芸術の分野では引き続き人間の書く文章が重宝されるだろうが、日常生活の中での「文章」はほとんどAIによって作られることになる。それは例えば、洗濯が手洗いから洗濯機が行うものになったように、炊飯が釜炊きから自動炊飯器が行うものになったように、自然な成り行きで代替されていく。人間による「文字を書く」ときの語彙はおそらく少しずつ奪われていくだろう。

そうなった時に、「人間の言葉」が残るのはどこか。私は発話だと考える。

これからの人間は発話を重要視するべきだ。他者や環境や状況や技術などの外的影響が「入力」されながらも、最終的な「出力」は人間によって行われるのが発話である。人間が人間らしさを保つ最後の砦こそ、身体からの出力に基づいた発話である。

私は発話の精度を高めていくことで、生成AI時代に対抗する。難しいことはない。ただ喋り続けると言っているだけだ。

昇進した✌【ボイスログ#6】

ボイスログ

日記を書く代わりに、ひたすら喋ったものを文字起こししています。録音した音声データは、アップロードすることもあるし、しないこともあります。

ボイスログということでね。第6回でございますけれども。あのー、昇進した!昇進したー!というね。うちの会社は6月が決算で、7月から新しい年度になるわけなんですけど。昇進したー!嬉しいですね。本当に嬉しい。

嬉しいんですけど、昇進っていうのはね、年功序列みたいなところとのバランスもあるんで、自分の会社がどうかっていうところを詳しく話しちゃうと良くないですけど、とはいえ、結構気を使う昇進だったということで。

いやー、もうね、何食わぬ顔で言えるまでには3日経ちましたということで、このタイミングでのご報告ボイスログなんですけど。いやー、経ったね、3日ということでね。まあ昇進してね、役割が変わるかって言ったらそうでもないですけど、役職が変わっております。

いや、本当にね、仕事をね真面目にやっております。私はこの仕事を真面目にやるっていう。仕事をめっちゃ真面目にやる、めっちゃ熱い仕事をする、仕事をして熱いってなった後に土日でめっちゃ冷やすっていう感じで人生をやっているので、サウナと一緒ですね。

土日はもう一切仕事のことを考えないぞという気持ちでやってまして。なので、それができるっていうことが幸せだなと思うのが、職種によるじゃないですか。平日に仕事をして、土日がちゃんと休みっていう、まずそのお仕事をしている人が珍しいし、かつ、例えばお休みの日もお電話がかかってきたりね、土日も仕事のことを考えなきゃいけないっていうお仕事をしている人たちはいっぱいいるわけですよ。その中で、私はそういう仕事が本当に辛いので、休みは休みと思いたいので、今はもう本当に土日は一切仕事のことを考えないっていう仕事に就いて、で、もう平日5日間めっちゃ頑張って仕事して、土日遊びまくるっていう生活をやっておりますので。

本当にそれで言うと非常に良いお仕事につけてるなぁという感じもしますしそこでね 頑張ってやった分、ちゃんとこういう形で評価をいただいて昇進できたってのはすごい嬉しいなぁと思っているわけなんですけれども。

この31歳、今31歳の状態での仕事論的なことを話すのであれば、シンプルに平日めっちゃ頑張った分土日何もしねえ、がシンプル仕事論でして。それって仕事論って言うか、職種だよねっていう。その自分の職種だよねって話であって、これが例えばもっと、もっと昇進して、もっと管理職とかになってくと、多分土日も仕事のことを考えなきゃいけない。今が一番ちょうどいい。 今が一番体に合っている。

サウナも、なんか、ちょっとここのサウナ暑すぎるなーとか、あと、ちょっとここのサウナ、水風呂冷たすぎるなーみたいなのがあるんですよ。で、個人的に実はサウナそんなに、こんなにサウナの話してるのに、そんなに実は好きじゃなくて、ただ、たまーに時たまーに、ものすごい自分の体に合うサウナがある。

それは、暑さとか、あと水風呂とか、あとその後外気浴って言って、外でちょっと涼んだりするんですけど、その涼む場所の雰囲気とか、そういうのがすごいちょうどいいっていう。そのちょうどいい場所に行けたら、めっちゃ気持ちいいけど、そうじゃなかったら、めっちゃ暑いし、めっちゃ冷たいし、しんどいみたいな。だから実は、サウナそんなに好きじゃないっていうのがあるんですけど。でも、なんか、本当に何十か所か回った中で、1か所2か所だけ自分の体にものすごい合ってる素敵なサウナがあった。本当に体質に合ったサウナ。自分の肌に合ったサウナがあった。そのサウナの幻影を追い求めるためにサウナに行っているみたいなところがある。仕事論というよりはサウナ論になってきたんですけど。

ただ、これも今喋ってるのは仕事中なんで、仕事中に運転しながらこういうことをやってるということでいえば、全然仕事は真面目にやってないんだということがバレるという。これを録音して、仕事が終わった後にこの録音データをダウンロードして文字起こししてっていうのをやってるわけですけどね。まあそういうことですよ。

昇進して非常に良かったなというところで、自分にご褒美をあげようということで、仕事用のカバンを買いました。仙台のパルコ2に入っているマザーハウスというお店があって、そこで革製の、ざっくり5万円くらいするカバンを買いましたけど、やっぱり良いカバンっていうのは良いなっていうのをすごく思うわけです。

これをね、丁寧に丁寧にちゃんと使っていくっていうのをやっていくぞと。あの、ぶん投げないでね。会社のね、仕事用のカバンってぶん投げやすいですからね。あの、どんどんぶん投げちゃう。でもぶん投げない。ちゃんとしまう。しまって。丁寧にね、カバンにクリームとか塗ったりとか、スプレーとか塗ったりとかする。だって俺は昇進したから。

俺は昇進したからいいカバンを買って、そのいいカバンを丁寧に扱う。これから。今まではカバンを雑に投げて、ぶん投げて、床とかに置いてたけど、俺は昇進したから、高いカバンを買って、それを丁寧に扱う。っていう感じでやっていきたいと思いますのでね。もう本当にね、これからまた頑張っていこうというところで。

ありがたいことに会社からも評価していただいたので、もうちょっと仕事を頑張りつつ、でも土日は遊ばせていただくぞということで、今日は金曜日、明日は土曜日ということで、明日からめっちゃ遊ぶぞ、やるぞということで、もう今ほぼ遊びモードに入っている16時でございました。では以上でございます。

いま車、牛みたいになってんの。【ボイスログ#5】

ボイスログ

日記を書く代わりに、ひたすら喋ったものを文字起こししています。録音した音声データは、アップロードすることもあるし、しないこともあります。

ボイスログということで。第5回目になるというところなんですけれども。ボイスログを前回撮ってたのが先週木曜とか水曜とかで、土日は別にいいかなと思ってやってなくてまた月曜日になったんでまた喋ろうかなと思ってるんですけど、ノリをね、その時の。喋っている時のノリをね完全に忘れてますね。 完全にどういうノリで喋っていたのかをもう土日挟むと忘れますね。 全然習慣化していないということなんですけど。まあ習慣にしていけたらいいなーって思ってるわけなんですけど。

今は仕事の途中ですね。仕事の途中っていうのも微妙な話なんですけど、運転中ということで、運転中なんで喋るのは別にいいだろうということで、喋ってますけど。駐車場に車を止めて、作業だったんで2時間くらい車停めて作業して、で今車に戻ってきて会社戻るところなんですけど、車がね。

ものすごい汚れてるんだよ。車がものすごい汚れてるんだよ。なんか、駐車場のところに木があって、多分なんか実がね、なってて、その実がね、バタバタ落ちてきて、ブルーベリーっぽい色というか、紫っぽい色の実がバチバチ落ちたのが、しかも、どっちかって言ったら黒っぽいから、それがバチバチ落ちて、車がですね、今ですね、まだら模様になってまして。

本当に冗談じゃなくて、30箇所ぐらいに落ちてるの。実が落ちた時に、高さもあるから潰れちゃって、バチャッてなってるのが、色も、もう本当なんというか、水玉模様じゃないけど、そんな感じになってて。それがもういっぱいあるから、なんか牛みたいになってて。いま車、牛みたいになってんの。

いやー、これが盛岡ですよ。2時間作業してね、頑張って汗かいてさ、終わったーと思ってさ、車戻ってきたらさ、車が牛みたいになってんの。いやーびっくりしたね、これはね。だから今から洗車行こうかなーと思ってますけど。大きなタイムロスですよ。洗車するしかないですよ、これはね。もうしょうがない。車はね、洗っていきましょう。

車が牛みたいになるっていうのは、これはもう良いことなのか悪いことなのかっていうところなんですけど、別に鳥の糞とかではないからなーっていうね、本当に難しいところですよ、これは。洗車するところに向かうまではやっぱりその丸裸というか、まだまだこの牛みたいな車で走ってるんで、本当に。

森永とか明治乳業の人なんじゃないかと思われるぐらいの牛加減で、今、盛岡を走ってますけどね。これもいいじゃないですかってことですよね。本当にこの日常にあるあらゆるおもしろを引き受けて、引き受けながら楽しく暮らしていこうっていうのがやっぱりモットーではありますんでね。モットーか?モットーかわかんないけどね。そこはやっぱり引き受けていこうっていうところなんですよ。だからね、こういう事件も引き受けて、楽しく暮らしていこうじゃないかと。

改めて、いつか振り返った時に、「車が牛みたいになった時あったなー」っていうのを、いつか振り返る日が来るので、そういうのも楽しめるボイスログとなっておりますので、ぜひね、一人の人間がね、いろんなことが起きてるんだっていうことを、皆さんも心に留めていただければと思いますので宜しくお願いします。では、この回は以上でございます。

 

皿を洗える人生でありたい【ボイスログ#4】

ボイスログ

日記を書く代わりに、ひたすら喋ったものを文字起こししています。録音した音声データは、アップロードすることもあるし、しないこともあります。

マイク購入!ということでね、早速買ったマイクで収録しているわけなんですけれども、今回買ったマイクっていうのが、DJI Mic Mini 2っていうマイク、ピンマイクなんですけども、歩きながら撮るっていうことが多くなるかなと思ったんで、基本的にはピンマイクを探してて、これが一番いいってことだったので、買ってみてどうかなぁというところですけども。音質が良ければこれを公開してポッドキャストに載せていくわけですが、改めて言いますけどもボイスログですからねこれは!

家に帰って来てましてね。本当にいつ録ってもいい、いつ録り始めてもいいぞということで。実は、歩きながら帰っている途中にちょっと録ってみようかなと思って、マイクつけてみたんですけど、恥ずかしいという理由でやめまして、家帰ってきてからやろうかなっていう。時間効率的に考えたら、家に帰る途中、歩いている途中に撮るのが一番いいんですよ。

というのも、会社から家まで30分歩いて通って、30分歩いて帰ってるんですよ。行き帰りの往復で60分あって、もちろん歩きなんでめっちゃ自由ではあるんですけど、その間音楽聞くか、ポッドキャスト聞くかしかできないっていうところで、そのなんというか、この時間、俺がただ健康になってるだけの時間だなっていうのが、割とあったんですけど、健康になることはいいことだからねっていう時間があったんですけど、この時間で喋ったらボイスログいっぱい収録できるんじゃないかと思ってピンマイク買ってみたんですけど、例えば電話とか歩きながらしている人って結構いるじゃないですか。そういう人みたいに歩きながら喋ろうかなーと思ってたんですけど、 なんせ電話と違って一人喋りだからすっごい恥ずかしいっていうのがありまして。めちゃくちゃ恥ずかしかったので、おそらく歩きながらは厳しいかなというふうに思ってます。っていうすごいシンプルな結論に至りました。まあね、そういうこともありますよ。

でもね、車で運転しながらとかは全然収録できると思いますし、いいものを買ったなということで、どんどん活用して使い倒していければなと思ってますけれども。本当にシンプルにね、ただただ喋るだけでいいですし、あとスマホから離れても収録できる、すごくいいピンマイクなんで、スマホ絶ちにもなるしっていうところで、めっちゃいいんじゃないかなと思ってます。

いやー本当にね、今日も一日お疲れ様でしたというところなんですけども。今日はでもあんまり悪い仕事じゃなかったですね。いい仕事をしました。非常にいい仕事でした。いい仕事をしたという日でございますけれども。この良さ、いい仕事をしたぞっていうこの気持ちをね、やっぱり翌日につなげていくためには早く帰る必要があるね。

今日実はめちゃくちゃ早く帰ってきていて。いつも8時ぐらいに帰ってくるんですけど、今日は7時に帰ってきちゃいました。1時間ぐらい早く帰ってきちゃいましたけど。これはね、非常にいいですね。やっぱり精神衛生上めちゃくちゃ良いということで。やっぱりね、遅くまで仕事するようなもんじゃないですよね。残業時間もね、ほんと1日30分ぐらいにとどめたいですよね。

それで言うとね、だいたいざっくり残業時間2時間ぐらいで帰ってるんですけど、1日。それも全然多くはない。世の中にはもういっぱい残業して、終電だとか、日付を超えてる人とかもいっぱいいると思うので、全然残業してるっていう感じはないんですけど。やっぱりね、生活が本当に職場と家の移動だけで平日がね終わってしまうっていうのは、精神衛生上良くない。

どのぐらい、帰ってからの時間を充実できるかっていうところで、例えば8時に帰ってくるのと7時に帰ってくるのって結構違うんですよ。何が違うって、まず時間が1時間伸びたということだけでは、片付かない何かがあるというか、まず明るいしね。

6月24日なんで、夏至の2日後とかなんで、かなり、なんというか、明るいというか。皿とか洗っちゃうけどね、これからね。脈絡もなく皿を洗わせていただくんで、多分水の音が聞こえますけど。6月の24日なんで、本当に世の中が一番明るい時間帯なんで、めちゃくちゃ楽しい。人生が始まってる感じがする。明るいから。

暗いと、人生が終わった感じがしますから。明るいうちに帰ってくるっていうのが一番いいことだし。やっぱ、その1時間仕事を長くしているかしていないかで、体力のゲージが全然違うんですよね。HPとかMPみたいな言い方しますけど、MPの残り具合ヤバいぞっていう。いかにMPが残った状態で、夜を迎えるかっていうところで言うと、残業してない状態っていうのは、MPが残ってるんで、「よっしゃ、こっから1本映画見たるで!」みたいな、そのぐらいの気持ちになるわけですよ。それが、8時とか9時に帰ってくると、もう映画なんか見たくないわけで、そうなると、どうなるかっていうと、マジでつまんないYouTubeしか見ないっていう。あの、本当にそういう状態になっちゃうから。それが、本当にその、1時間違うだけで、俺は、名画を見れるわけですからね。名画を。

正直1時間なんて変わんないんですよ、本当は。別にね、例えば9時に帰ってこようが、7時に帰ってこようが、そっからの2時間で名画は1本見れるんだけれども、9時に帰ってきた時に見るのは名画ではなくてクソYouTubeですから。それを考えたら、7時に帰ってきたら、まあ、支度とかしたとしても、9時から名画を見れるわけだから。だから俺は今日これから名画を見たいですよねっていう、まあ名画って何なのかっていうのも、まず名画を調べるところからいきたいですけど、でもやっぱりこの7時に帰ってくることによって俺は名画を見れるんだという、そういうこの熱い気持ちをやっぱ大事にしたいってことを考えると、やっぱ仕事を早く終わらせることに価値はあるなぁと思いますし、早く帰りたいですよね。ほんと毎日このぐらい帰ってこれればいいかなっていう。

一応うちの会社、水曜日がノー残業デーみたいな感じになってるんで、本来的にはノー残業デーだから早く帰ってくるみたいなことが必要なんですけど、そうも言ってらんないじゃないですかっていうのがあって、強制じゃないんで残業しちゃうわけなんですけど。でも普段より帰りやすい雰囲気は出てる。帰るのかっていう感じに対してノー残業デーですからねという顔ができる。顔ね、顔。言わないけど、顔ができるから。そういった意味ではノー残業デーっていうのは本当に必要な試みなんだなと思うし、で、今それの恩恵を受けて、俺は7時に家に着くことができて、こうやってね、皿を洗うことができてる。

やっぱ皿はね、洗ったほうがいいですから。うん、本当に。皿っていうのはね、洗ったほうがいい。洗ってない状態の皿がやっぱ積み重なっていくのが最悪な状態なんで、まずは皿を洗うことが大事で、今俺はそれができてる。これは素晴らしいことだと思う。

皿を洗える人生でありたいよね。皿を洗える人生。本当にそう。どっちを選ぶかっていう。皿を洗える人生と、洗えない人生。どっちを選ぶかって言ったら、絶対に皿を洗う人生を選びたい。皿は洗いたい。皿を洗うっていうことは、つまり皿を使ってるってことだからね。これって。皿は使わないと洗えないわけですよ。だから、皿を洗っている状態というのは、皿を使っている状態であって、これが例えば吉野家行って食ったり、すき家行って食ったり、もしくはそれを持ち帰って食ったりしたら、俺は皿を洗えないわけですよ。

ちゃんと自分でご飯を作ったりしていて、それが皿が汚れていって、皿を洗うという行為に繋がるんで、皿を洗えている状態っていうのは、ご飯を作れている状態なんですよね。ってことを考えたら、絶対に皿は洗った方がいい人生になるから、皿は洗いたい。もちろん、俺、吉野屋めっちゃ好きだし、すき家めっちゃ好きだし、なか卯めっちゃ好きだから行きますけど、でもそれは好きだという気持ちはあるけど、一方でやっぱり皿を洗う人生にするべきだと思う。俺はこれから皿を洗いたいから、じゃあ何するかって言うと、ここから料理するよね、まずね。だって今皿を洗い切ったから、今この俺が喋っている間にも、皿っていうのは洗い切られたわけだから、だったらじゃあ次はっていうことで、ご飯作るわけですよ。こうやって人生は回っていくわけですよ。

そういうふうにね、俺はなりたいという。 本当にそういうことなんですけど。

ぜひね、皆さんもね、皿を洗える人生にね、やっていきたいというところの強い気持ちを持って。とはいえね、じゃあ実際本当に皿を洗えるかどうかっていうのは、個々人の忙しさと、あと仕事の状況と、あとは個々人の能力、料理を作るのが得意か得意じゃないかとか、いろんな状況があるから。それはね、強制する必要はないけど、これはもう俺個人の話で、俺は個人的に皿を洗いたいから。そういう人生を歩みたいからっていうところでやってますんで、いやーもうね、とにかく今日は俺は皿を洗うぞと。で、洗い終わったから次はご飯を作って、そして皿を洗うぞと。そういう気持ちでね、やっていきたいと思いますので。

いやー、いいマイクを買ったなぁ。結局はね、このマイクを買えたという話ですので。では、こっからご飯作るためにちょっと買い物行ってきます。

貝ひもを買って、いい感じ【ボイスログ#3】

ボイスログ

日記を書く代わりに、ひたすら喋ったものを文字起こししています。録音した音声データは、アップロードすることもあるし、しないこともあります。

ボイスログ第3回目。そろそろ買ったマイクが届くんですけども、買ったマイクが届くまでは音質が悪いので、皆さんにお聞かせできるようなものはないということで引き続き文字だけで皆さんにお届けしています。

一応、第2回までは同じ日に録ってて、その後文字起こしやってみて、今日3回目になったんですけど、文字起こし見てみたら、いろんなノイズが多いですねっていう、自分の喋り方のフィラーとか、もろもろ、癖とか、そういうのを改めて感じて、なるほどなと思いましたけども。

そういうところを直していくというのも、実はテーマだったり、したりしなかったりするわけなんですが、それにしてもということで、昨日の夜、家に一人で、夜ご飯どうしようかなって思ってた時に、冷凍のお米があるぞと。

ただ米しかないぞという時にどうしようかなと思って、スーパーに行ったわけですよね。帰り道のスーパーに。帰り道のスーパーに行ったら、ホタテの貝ひもの加熱用のものが売ってたぞ。貝ひもだ!と思って。すごい貝ひも好きなんですよ。ホタテの貝ひもがね。で、これをバター醤油焼きなんかにして食べたら、うまいだろうっていうことで、それを買って、で、あと袋サラダ。袋にいっぱい入ってるサラダ、あれも買って、もうサラダとホタテの貝ひもとご飯でいけるやろうというお話で、で、家に帰ってきて、焼いて食べて、めちゃくちゃうまいっていう、そういう日だったんですけど。

この、2026年の6月22日に、スーパーでいい感じの貝ひもを買ってきて、それを焼いて、食べたんだという事実。この事実は、記録をしないと消えていくわけですよね。つまり、2、3日は覚えてるかもしれないけれども、貝ひも買ってめっちゃいい感じだったっていうことが、1年後覚えてるかって言ったら絶対に覚えていないし、10年後はもうスーパーとかも全部覚えてないわけですよ。それを、俺は貝ひもを買っていい感じだったんだっていうことを記録するのがボイスログですよっていうことですね。そう、俺はただ買い紐買っていい感じだったんだっていう6月22日にそうだったんだってことを皆さんに伝えたいんだという。

皆さんに伝えたいというよりは、自分が自分でそれを覚えていたいんだという、その気持ちを持って今喋ってますから。いや貝ひもうまいですよねっていう。貝ひもうまい。うん。本当にね、ただそれだけなんですよ。自分がやりたいことって。貝ひも買っていい感じっていうのを届けたい。ただそれだけっていう。

最近はあの、ご飯を。お米を炊くっていうこと、これに時間がかかりすぎるなーっていうのをすごい感じていて、お米を炊くっていうのが、まあ、1時間かかるわけですよ。炊飯器で炊くと。まあ、早炊きとかもありますけど、もろもろ準備して、米を研いで、セットして、まあ、1時間かかると。で、それをね、家に帰ってきて、やったら、9時とかになるわけですよ、夜の。

8時に家帰ってきて、米研いで、炊いたら、9時ですよ。そんなんもう夜ご飯じゃないよね、っていう。で、そうやってどんどん人はね、夜ご飯を雑にしていくわけなんですけども、これ良くない。これはマジで良くないぞと、やっぱ思い始めていて、やっぱ人間ね、ご飯は食べなきゃいけない。当たり前だけれども。

で、そのご飯の食べ方っていうのも重要で、その肉だけ食べるとかっていうのも、もちろん良いし、パスタ作って茹でて食べるっていうのもすごくいいんだけども、やっぱり自分に合った食事と自分に合ったスタイルがあるわけで、それを誰かに強制するわけでもされるわけでもなく俺はお米が食いたいんだっていう。このお米が食いたいっていう気持ちを食い止めていたのが1時間炊飯にかかるっていうことだったんですけども、当たり前に、当然のこととして、俺たちには冷凍庫があるんですよね。

だから冷凍庫にお米を入れとけばいいわけ。時間のあるときに炊いておいて。それこそ、夜帰ってきて、お米炊いて、今9時ですよ。9時なんだけれども、その9時に、パックに詰めて、冷凍していたお米が、翌日の、俺、8時のご飯になるわけですよ。これはね、あの、当たり前の話だよ。あの、こんなことを、エッセイに書いたって、なんも面白くはないんだけれども、けど、俺は、これを伝えたい。

9時にいつかお米を炊いたことが翌日とか、いつかの8時のご飯になるわけだから、俺は一回そこでお米をたくさん炊いて、冷凍させて、それをいつかの夜ご飯のために取っておくんだと。そういう気持ちを持って生活をして、その時にやっと貝ひもが生きてくるわけですよ。その時になってみないと。

お米がない状態で貝ひもを買ったら、ただの酒のつまみになるところを、俺はお米があるというこの安心感によって、それによってお米を炊いてね、家にあって、それによって俺は貝ひもをバター炒めにできるぞって思って生活ができる。それもスーパーに行く前から俺は思ってる。貝ひもがあったらバター炒めにできるぞと思ってる。そのことが一番大事であって、別に貝ひもは買わなくてもいい。

家に帰る。その前に、俺は貝ひもを買ったら、バター炒めにしてご飯と食えるし、イカそうめんの刺身を買ったら、イカそうめんを乗っけてご飯を食えるし、なんか味付いた肉みたいなのがスーパーでよく売ってると思うんですけど、あの味付いた肉みたいなやつを買ったら、それを焼いてご飯を食えるぞというこの無限の可能性を、俺はお米を炊くことによって獲得してるわけですよ。

お米を炊いていない自分には可能性はなかった。じゃあ主食になるものを作るっていう手間があるから、んー、パスタ茹でるか?みたいな、そういう、もう、ほぼほぼパスタに全ての思考が吸収されていくみたいな、そういう生活をしていた、俺は。だけれども、お米を冷凍したことによって、スーパーに行く前から無限の可能性が広がっている。そして俺は、このお米を食べないこともできる。

なぜなら、そこでスーパーに行く前にガストに行ってもいいわけだから、俺は。でもこれも、お米を冷凍している前と後では全てが変わっていて、つまりお米がないときにガストに行くというのは、妥協の産物で、家に食うもんないからガストに行こうだったのが、それが、俺はお米を冷凍しているから、冷凍のお米をチンしたら食えるけど、でも俺は今日の俺のすごい頑張りを称えたいからガストに行くんだっていう、そういう気持ちになるわけじゃないですか。もう、お米を冷凍している時点で勝ってる。俺は。全てに。生活に勝っている。

だから、お米を冷凍するということは、生活に勝利するということであって、つまり、俺は今、生活に勝利している状態。今日も俺の冷凍庫には1合のお米が入っているわけ。冷凍しているお米を解凍することもできるし、しないこともできる。無限の可能性が俺には広がっている。だから、みんなもお米を冷凍しよう。これを伝えたい。お米を冷凍しよう。

今、生活に悩んでいるとか、なんか悩みがあるとか、悲しいことがあったとか、どうしてもうまくいかないことがあるとか、人間関係で悩んでるとか、いろいろあると思う。今お前が何をすべきか。お米を冷凍しろ。本当にそうだぞ。うん。みんなやってると思うけども。もうやってると思うけどね。

なんで今、32歳になる男が急にこれに気づいたんだって話なんですけど、ひとえに、これは一人暮らし経験の乏しさですよね。いかに今まで人にご飯作ってもらっていたかということの吐露でもあるわけですけど、でも、でもね、いつ気づいたっていいんですよ、人間は。人間はいつ気づいたってよくて、いつ冷凍のお米が生活を豊かにするってことに気づいてもいいんです。そう、いつだって大丈夫。

20歳過ぎてから、そういうのに気づくのに、遅いとかない。気づいたら、その気づいた時点からのあなたの人生は豊かなんだから。だから、俺はこれからもお米を冷凍する。そう。そして、貝ひも食っていい感じになるから。ね。もう、本当に貝ひも食っていい感じかどうかですよ。世の中は。うん。なんてね、皆さんもぜひお米を冷凍していただければと思いますので宜しくお願いします。

 

俺は俺を脳に見せているんだ【ボイスログ#2】

ボイスログ

日記を書く代わりに、ひたすら喋ったものを文字起こししています。録音した音声データは、アップロードすることもあるし、しないこともあります。

はい。ボイスログ2回目でございます。なんといってもボイスログという名前を大事にしていきたいという熱い思いがあります。

最近のこの閉塞感についてちょっと吐き出してみようかなと思っていて。やっぱり、落ち着いてきたからだと思うんですよね。ある程度、仕事にも慣れて、盛岡での暮らしも慣れて、自分の持っているものでできることが増えてきたというか。今までは、獲得をして、自分のできることを拡張していった先で何かができるみたいなところだったのが、だいたいもう5年目にもなってくると、もうだいたい知ってますよっていう。その自分のできることとか、分かっていること、知っていることっていうことが、そのまま、日々の生活にそのままダイレクトに反映されるというか、なので割とできることだけでやってるみたいな感じに少しずつなってきているなあという感覚は正直ありますね。

解消する術は、より難しいものに挑むとか、自分の新しい知識を獲得するとか、結局そういうことになってくるのかなという感じはしていますから。そのためには勉強をする、学習をする、何か新しいコミュニティに出ていく、みたいなことが大切なのかなと思ってますけども、そんなね、自己啓発的な気持ちがなくたって生きていきたいじゃないかっていう。

自己啓発をやらなくてもいきいき生きたいっていう。これは無理なのかもしれないけど、無茶なのかもしれないけども、その自己啓発的なものに回収されたくはないんですよ。だから、焦って資格取るとか、いろんなね、あるじゃないですか、あとはもうビジネス本にハマるとか、自己啓発本めっちゃ読むとか、社会人のコミュニティに入るとか、すごい前向きな朝活するぜみたいな、読書するぜみたいな、そういう前向きな自己啓発に取り込まれることなく、俺は生きたいんだという、そういう覚悟をね、どうやって解消するかというところで、俺はボイスログをやるっていう。

これもちょっと自己啓発なんじゃねえかって話はあるんですけど。まあ、いろんなね、考え方、捉え方はありますけど、とにかくね、そういうダサいものとして自己啓発を捉えているのはなんでだろうというのはあるんですけど、そういうものに回収されることなく、自分で、獲得していった知識によって、道を切り開いていきたいという思いがあるわけですよね。それは結構健全だと俺は思うんですけど、その健全さの中で、自己啓発をすごく嫌がる、嫌悪するっていうのは、あまり健全ではないけれども。

いや、難しいですよね。結局、マスを取っている、大衆の心を掴んでいるものって、結局はやっぱり良いんだなというか。だから結局、自己啓発的なものが消えないっていうのはそういうことなんだろう。廃れないっていうのはそういうことなんだろうと思いますけど。

でも本屋さんに行ってさ、本屋さんにパッと入った時に、一番最初のこの見える棚、入口を開けて、一番最初に見える棚に何が置いてあるかって結構重要で、もうその本屋さんのステートメントじゃないけれども、うちはこれで行きますぜっていう宣言じゃないですか。パッと開けた時に、ホリエモンとかひろゆきとかが並んでるとマジでガッカリするというか、もうこの本屋見るもんねーわっていう、そう思っちゃうぐらいクソつまんねーなって思うところは結構あって、そういうのに取込まれていく感じ?もう、多分ね、もうホリエモンもひろゆきも論破なんて言ってないと思いますけど、でもそういうなんというか、マウントを取っていきたいというその気持ちが、そこの本屋にあるというのは、非常に良くないというか、他者ありきというかね、評価軸が。そうじゃなくて、自分で何かを獲得するんだと、その自分の体験を語るんだという、自分の感想を語るんだという、そういう思いを持った本が、本屋の一番最初のパッと開けた見えるところに置いてってほしいわけですよ。

そのためにはまず自分がこの自分をどう見つめているか、そして自分を通して社会をどう見てみるか、このフィルターどういうふうなフィルターで自分は世界を見ているのかっていうのをきちっと把握するためには言葉にすることが必要だと思っているし、別に言葉じゃなくても絵でもいいし、図示してもいいし、別に言語にする必要はないんですよ、ちゃんと把握ができていれば。それがね、謎の図形でも別にいいんですよ、ちゃんと把握できてさえいれば。ちゃんと把握さえできていれば、別に言語化は必要ない。だから何らかのモチーフは必要ということで、そのモチーフを何で俺は作っていくかっていうと、文章ではなくて音声だと思っているので、喋るっていう。ひたすら喋って自分が何を考えていて、何を目指しているのかっていうのをちょっと捉えていきたい。

それで言うと、自分タイピングがものすごい苦手なんですよ。パソコンで文字を打つっていうのが、タイピングがすごく下手で極端に遅いんですよ。本当はこのタイピングを練習した方がいいんですよね。なぜなら、タイピングが遅いことによって、自分が考えているこの思考、脳の中にある言葉を、直接インターネットに落とし込めてないんですよ。タイピングが苦手なので、自分が考えている文字数の3分の1とか4分の1とか、下手したら10分の1くらいまで縮小されたものがタイプされている。だから自分の思考丸ままじゃなくて、自分の思考のめっちゃギュッとしたところだけがタイプされている。文字が打たれている。それを考えた時に、それってすごい本当にもったいないことなんじゃないかなと思っていて。

自分はガラケー世代なので、もともとガラケーの文字を打つというところは結構、割と早く打てたんですけど、スマートフォンになってから、どんどんスマホが大きくなってきたことによって、スマホもちょっと自分の考えている速度と打てている速度はやっぱりちょっと違うと。

自分の思考よりも、追いつけるぐらいに文字が打てる装置って何なんだって言ったら、発話なわけですよね。言葉を発するということ。自分と脳を直接インターネットに接続させる唯一の手段であって、それが最近文字起こしとかをできる、AI文字起こしみたいなソフトとかもいっぱい出てきているから、自分がやっと自分の思考、自分の考えていることとか、自分の脳内にある全てを吐き出せる、インターネットに吐き出せるっていうのが、ついにできるようになった。

ただ、自分は音声も好きだけど、結局は文字で見たい人間でもあるから、やっぱりそれを文字にしたいということで、自分の喋っているものを文字にする。だからこそのボイスログなんですけど、そういうのをね、どんどんやっていこうということで始めてますから、とにかく自分の脳を直接ね、皆さんにお見せをしたいという、パカッと開けてですね、ぜひ見ていただければというところでやってますから。

でも結局は自分に見せたいだけなんですよね。自分の脳って自分で見えないですから。変な話ですよね。結局自分の脳も自分から見えないわけなんですよ。だから自分の脳を自分に見せるには、発話をしていかなきゃいけないわけで。見せるっていうか、聞かせてもいいんですけどね。そういう手段。

取るためには、やっぱりこの言語化っていう言葉はすごい好きではないですけど、なんか脳に見せるために喋ってる感じ。脳に見せてる、俺は。俺は俺を脳に見せているんだという。そういう感覚で喋ってますんで。とにかくまず一旦脳に見せようという。自分の自分の認識を自分がどう捉えてるかを。

脳に見せていきたいという。これも身体ですよ。自分の身体性を脳に見せていく手段として、ボイスログというのを始めているわけですから。喋っていないと、この15分がなかったことになるんですよ。

どういうことかというと、AIの時代になりましたという時に、すでに文字を打つ、文字を作る、要するに文章を作る、ある種コンテンツのための文章を作る。文章作りっていうのは、これからどんどん人間が作り出したものではなくて、人間が断片を作ったもの、断片を渡したものがAIが整えるっていう時代にどんどんなっていくわけで、長い文章っていうのがすべてAIのものになっていくと思うんですよね。

もちろん短い文章はまだまだ人間が書くと思うし、断辺、切り貼りできるぐらいの断片みたいなものとか、アイディアみたいなものはこれからも引き続き人間から出てくと思うけれども、それを最終的にコンテクストの中で長いテキストにしていくっていう作業は、おそらくだけれどもこれからAIがやっていく、になっていくんですよ、絶対。そうなった時に、今、私がここにいて、私が考えている一万字、今自分が考えている一万字というのは、出力されなければ、無いものになってしまって、代わりにAIが出力した、なんとなくこんなもんだろうという一万字が出力されたままの世界になっていくっていう、これは本当に危機感を持っていて、だから今、俺がAIじゃない日本語、自然言葉を一万字、喋る必要がある、と思っている。それをAIが学習してもいいじゃないとは思うんですけど、結局自分が今ここで生きていて、記録をしなければならない。なぜなら記録をしないと、言葉はどんどんAIに取られてしまう。AIがどんどん作っていってしまう。

そうなった時に、おそらく、人間の言葉の刻み方や、人間の言葉の書き方も、AIに寄っていくと思うんです。なぜかというと、人間は学ぶ生き物なので、読んだものや、見たものから、作法や、レギュレーションを学んでいくと思うんです。

最近、AIが書いたような文章を人間が書いていることが結構あるんです。それは多分AIから人間が逆に学習してるっていうところで、AIの文章が読みやすくなってきているから、それが読みやすいんだという共通認識を得たときに、人間がAIっぽい文章を書くっていう、そこまで来てると思うんですよ。AIが章立てをするところとか、強調表現を作るところとかが、こっちの方が読みやすいんだっていう風に、このAIが作ってある文章がどんどん増えていった時に、こっちの方が人間がわかりやすくなってきたっていうそのタイミングで、人間はAIみたいな文章を作り始めるんで、俺はそこから逃れるために喋っていて、人間の文章を残し続けるんだという謎の使命感に今駆られて喋っているという、そういうボイスログですので、ぜひ引き続きお付き合いいただければと思っております。

ぬいぐるみを持つか、チャーメラを持つか【ボイスログ#1】

ボイスログ

日記を書く代わりに、ひたすら喋ったものを文字起こししています。録音した音声データは、アップロードすることもあるし、しないこともあります。

はい。試験的にね、録音をしてみるわけなんですけれども。VlogのVはビデオで、ボイスもVだからすごい分かりにくいんだけども、「ボイスログ」ということで。Podcastとも違うボイスログをやっていこうかなと思うんですけれども。

今はね、本当にPodcastの時代なんで、これをPodcastと言い張ることだってできるわけなんですけど、もうボイスログだと。Podcastって結構有益な話をしなきゃいけない風潮があるし、有益じゃなかったとしても、コンテンツとして成り立たそうというその気負いみたいなものがあるじゃないですか。気負いと気合いね。気負いと気合いみたいなものがあると思うんですけど、そんなことは関係なく、ただ喋っているぞというのを記録して、その記録したのが一日の記録になっていくのが積み重なって、それが人生の記録になっていくぞと。それはPodcastと何が違うのかと言われたら、気負いがあるかないかって言う。ただそれだけっていう。本当に。だから聞く人にとってはPodcast的に聞く人もいるだろうし、ボイスログなんだなと思ってくれる人もいるだろうし、本当にただの、なんかよくわかんない音声だなと思う人もいるかもしれないという。そういう感じのところも含めてのボイスログという、「発明」をやっていきたいと思うんですけれども。発明かこれ。別にそうでもないぞ。というわけでね、営業車に乗りながら、この営業車の中で喋っているというわけなんですけども。

普段、営業車の中だと、基本は音楽かPodcastを聴いていることが多いんですけど、他人のコンテンツにだけ左右される人間になるなよという話ですよ。自分で作品を作っていくんだという気持ちはないのかと。ないのかと言われたら、大体の人がないんですけど。そうやっているうちに、1ヶ月前に何が面白いと思っていたかとか、昨日何が楽しかったかとかが、どんどんなくなっていくんじゃないかなというのを危惧していて。今、盛岡に引っ越してきてちょうど丸4年になって、5年目という感じになるんですけど、正直言って盛岡に来る前のことを全く覚えていない。仙台で暮らしていた時のライフスタイルを一切覚えていないぐらいになっていて。あの時こうだったなーっていう記憶って、その連続性の中にいなければ、弾かれてしまうというか。盛岡に来てからのことは覚えてるんですよ。そこには連続性があるから、同じ家に住んで、同じ人と暮らして、同じ仕事をして、これで例えば転職したとしても、同じ家に住んでいるというところとか、同じ土地に住んでいるというところで、若干の連続性は保たれるわけですよ。ただこれが土地が変わって、仕事も変わって住む人も変わってっていうことになると、連続性っていうのは切り離されてしまっていて、すると途端に仙台で何をやっていたかっていうのを全く思い出せなくなるんですよね。連続性を保つための作業としてこのボイスログが、何年やるかわかんないんですけど1年2年3年ずっと続けていく中での連続性の記録として、何か意味を持つものになるんじゃないかなというふうに思っているので。連続性の記録というのをやっていきたいというのが、ボイスログを始める一つの理由というか、鍵になるわけですよね。

このボイスログを始めるにあたって、とりあえずは今はApple Watchで録音をしているわけなんですけども、おそらくものすごいノイズが乗ると。車を運転しながらなので、ものすごくノイズが乗ると思うので、もうマイクも買ってね、そのぐらいの気合でやらせていただこうかなというふうに思っているわけなんですけど。絶対ね、そういうのやっていった方がいいですからね。基本的に、クリエイターの方々は作品を作るわけで、映像なり、もしくは美術なり、もしくは文章なり、そういった形で何らかの作品を残していくわけなんですけれども、そういう人たちじゃない人たち、映像を作るわけでもない、絵を描くわけでもない、文章をそんなに書くわけでもない人間たちが、何を残せるかというと、基本的には今のところ何も残せないんですよね。何も残せないんだけれども、本来はそれで良かったはずなんですよ。人間全員が、何億人が、この何十億人が一個一個作品を残せるかって言ったら、まあ別に残せないと。なんだけれども、SNSの時代、インターネットが発達したことによって、カジュアルに作品を残すということが可能になってきたと。今までだったら、すごくコストがかかって、何百万円かかって自費出版していたものを、noteに記事を10本あげて、それをマガジンにするだけで1個の作品みたいな、そういうところがあるんで。本当に作品を残すハードル、作るハードルももしかしたら下がっているのかもしれないですけど、残すハードルっていうのはもう圧倒的に下がってきた。

そうなった時に、いよいよ作品を作って残す人と、そうじゃない人の差がものすごく生まれるようになっていて。もちろんクオリティの話で言うと、たまたまこの時代に生まれたから残すようになった人の作品のクオリティって別に高くはないと思うんですよ、全然。ただそういう環境にあったから、文章を書いて残しているという、そういうものだとは思うんですけど。時々それが、素晴らしいもので、商業出版になったりとか、商業出版にならなくても素晴らしい作品ってのがいっぱいあるわけなんですけども、それとはまた別のベクトルで、ある種、そんなにもクオリティが高くないようなものを、バンバン作って残していける時代になったのに、そこにアクセスできていないと、作品ができない。つまり、文章を書く人、絵を書く人じゃないと、作品が残せないっていう、この非対照性をどうにかするために、私は喋るしかないっていう。ボイスログをやるしかない。でも、作品を残したいわけじゃないっていう。いろんなジレンマがあるという。その謎のジレンマと戦いながら、喋っているわけなんですけど。

32歳になる年なんですけど、繰り返しをだいたいわかっているわけで、この繰り返しの中で、どう打破していくか。やっぱり盛岡の暮らしも5年目になると、だいたい一緒の繰り返しだなっていうのが見えてくるわけですよね、ルーティンが。もうこの時期になると暖かくなってくるね。この時期になってくると雨が降ってくるね。だとしたらこの時期にこの仕事をしないといけないね。みたいな繰り返しがわかってくるわけで、この繰り返しっていうところが、刺激を生まなくなってくると、ちょっと苦しいなっていうところは絶対にあるんだろうと思いますけど。刺激をね、どうやって保つかっていうところが、これからの30代のテーマなんじゃないかなと思ってますし。

みんなはその刺激をどうやって打破してるんだろうっていうところは非常に気になるわけで。自分は何をするかっていうところで言うと、勉強するしかないんじゃないかなっていう。打破の仕方としては、学習ですよね。自分にない知識を、獲得する、取得するっていうところで、これは勉強しかない。ということで、30代になって、なかなか勉強できてなかったですけど、改めて勉強を始めようかなというふうに思ってますけど。やっぱ20代の時とか10代の時の学習とは、何が一番違うって、やっぱスマートフォンがあることだよね。スマートフォンが俺らの集中力を奪うのよ。とにかくスマホ触りたいし。もう依存症ですよね、完全に。完全にスマートフォン依存症。とにかく触りたい。もうひたすら触りたい。今だって触りたい。で、その触るの、スマートフォンを触るのから、どうやって遠ざけるか、自分を遠ざけるかっていう工夫が多分いろいろ必要で、それが例えば、スマートフォンを鍵のある箱に隠すみたいな、学生とかがよくやってる、ああいう工夫だったりもするかもしれないし、もしくは別室にね、スマートフォンを置いておくみたいな、そういう工夫なのかもしれないし。とにかくこのスマホを触らないための工夫って、もちろんいろいろね、あると思うんですけど、例えば自分だと手にもう物を持っちゃうとかね、すげー原始的なんだけど、手に。例えば、ぬいぐるみを持ってしまう。ぬいぐるみを持っていると、スマホが持てないんですよ。これは発明ですよ。発明。スマートフォンを使うためには、ぬいぐるみを一回置かなきゃいけない。ぬいぐるみを置くっていうのは、結構大変なことなんですよね。汚したくないし、ぬいぐるみっていうのは。その辺のところに置いておきたくないから。だからぬいぐるみを持って出かけると、スマートフォンを触れなくなるっていう。これはかなりのライフハック。あと最近、チャーメラって言って、キーチャームみたいな感じのサイズ感のカメラっていうのが、トイカメラですよね。遊びのカメラがあるんですけど、あのトイカメラのチャームの輪っか、キーリングを指にかけちゃう。指にかけちゃうと、手のひらの方に、そのカメラが、ちっちゃーいカメラが、手のひらに当たるんですよ、ずっと。で、手のひらにずっと当たってるから、スマートフォン触りにくいわけで、なので、あの、トイカメラ、チャーメラをつけてても、指につけてても、これはスマホがやりにくい。これも発明。なので、最近はぬいぐるみを持つか、チャーメラを持つかっていう。

ぬいぐるみを持つか、チャーメラ持つかですよ、時代は。やっぱりスマートフォンの依存から自分をいかに遠ざけるか。情報の洪水をどうやって浴びないか。スマートフォンから浴びる情報じゃなくて、自分の目とか鼻から感じる、この五感で感じる、今のこの全てをどうやって感じ取るかっていうと、チャーメラ持つかぬいぐるみ持つかなんですよ。

やっぱりここは戦いですよね。自分でどれだけスマホを遠ざけて自分の新しい知識を獲得していくか、体験っていうのを自分の身体的なところをどうやって確保していくかっていうのは引き続き戦いだと思うんで、そういう戦いも含めてこのボイスログでは記録していければなと思いますけれども。

参考URL

・チャーメラ

KODAK Charmera | Film Camera

『男らしさと女らしさについて考える』朝井麻由美 TSUNDOKU BOOKS

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ポッドキャスト『物書きと本屋の「ほんとのこと」』の書き起こしをベースにした、ライターの朝井麻由美さんと本屋「TSUNDOKU BOOKS」の店主・長嶺李砂さんの本。

いわゆる「ジェンダー規範」についてのさまざまな疑問について2人で議論していく構成ですが、「女らしさ」の話にとどまらず、『戻れないけど、生きるのだ 男らしさのゆくえ』の著者である清田隆之さんをゲストに招いていることで、「男らしさ」についても取り上げられているのが面白かったです。

朝井さんが東京生まれ東京育ちかつ「カルチャーおじさん」だった父の影響について認識をする『親の影響』の項では、ジェンダー規範の押し付けには家庭環境や時代や地域差などの、あらゆる条件によって濃淡が変わるものだという、当たり前だけれど当事者からは見逃されがちな観点が取り上げられています。地方には「男らしさ」「女らしさ」の必要性を無意識に信じている人たちがまだ多いと、盛岡在住の自分でも感じるのですが、それによる失礼な瞬間に立ち会ったときに、ちゃんと反応できる自分でいたいなと思います。

 

さよなら、また今度ね「いったんワンマンライブ」@代官山UNIT

2026年5月30日。早起きして部屋掃除をして、盛岡駅から新幹線に飛び乗る。さよなら、また今度ねの復活ワンマンライブを見に行くために。

 

さよなら、また今度ねは高校生の頃に出会った。YouTubeで、めちゃくちゃ変な音楽と変な動画をあげていて、こういう人たちが天才なんだなと思っていたら、あれよあれよという間に売れて、デビューして、どんどん大きくなっていって、これから、という時にあっさりと活動休止してそのまま解散してしまった。

- YouTube

2013年頃はサブカルという言葉が機能していた最後の時代だったと思う。変なものが変なまま、バズらないままに存在していて良かった。まだバズという言葉もなかった。ヴィレッジヴァンガードが元気だった。あらゆる動画のテロップのフォントがダサかった。

高校生の頃は仙台から東京にライブに行くなんて金銭的にも時代的にも考えられなかったから、彼らのライブを見たことはない。長く生きているといいことがあるなあと思う。みんながんばってきて良かったよ。

開演前に物販へ。

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だいぶふざけている。しかも童謡が流れている。「つぎのおともだち〜」と呼び出されてTシャツを買った。デザインが本当に往年のサブカルの感じで最高だった。好きなバンドはだいたいこのテイストのバンドTを出していた。

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会場の代官山UNITに入ると、そういえば東京のライブハウスに行ったことがなかったことに気付いた。代官山UNITとか下北沢シェルターとか渋谷WWWとか、名前はよく聞くし写真も見るけど実在しているかわかんない場所。入ってみると仙台のライブハウスとなんら変わらないのに、なぜか神聖な場所に思えるから不思議だ。

そんな神聖な場所の客入れのBGMではいろいろな音頭が流れていた。いろいろな音頭?

 

マジで「さよ今っぽい」としか言いようがない、シュールな映像が開演前に流れてから、スペシャルゲストのランジャタイ国崎さんが登場。国崎さんがさよ今が好きなの、あまりにも分かりすぎる。そりゃそうだよな。持ち時間が10分あったらしいが、早くメンバーを呼び込もうとして何度も退場し、さすがに早すぎると言われて何度も戻ってくるのが、ランジャタイの名作漫才「このくそったれ人生にさよならポンポン」と同じような流れになっていて、めっちゃくちゃ良かった。

- YouTube

メンバーが登場。びっくりするくらい12年前とみんな変わってない。もっと髭もじゃもじゃとかになってていい年月なのに。菊池さんが絶妙に変な髪型なのも変わってない。なんでだよ。登場から大はしゃぎのベースの佐伯さん。変わってない。渋谷さんは素敵なお召し物。素敵です。

一曲目は「in布団」。もはや国歌。佐伯さんが泣きそうになっている。あと菅原さんは12年でめちゃくちゃ歌がうまくなった。元からいいボーカルなんだけど、表現力が段違いになっている。

そして「ミルクアイス」「瑠璃色、息白く」と代表曲の連発。というか、さよ今には代表曲しかないのであった。とにかく楽しい曲の連発。おそらく普通のライブよりも手拍子を叩く頻度が多かった。会場にいる全員が、楽しい!という感情を共有している。

中MCで佐伯さんが「曲とかいいから喋ろうよ、曲はSpotifyで聴けるからさ〜」と身も蓋も無いことを言っていてすごくよかった。わかるよ。喋りたいよな。同窓会みたいなもんなんだから。でも、そもそもSpotifyで聴けるようになったの今年の話ですからね。曲だって12年待ってたようなものなのだ。

「輝くサラダ」や「踏切チック」でボルテージはさらに高まる。変な曲たち。変な曲で全員が笑顔になっている。その間に挟まれた「いいわけの鉄拳」「素通り」の良さもまた、さよ今らしさであるし、それで言うと最もさよ今っぽいと感じるのは「ギンビス」なんだけど、生で聴けて本当に良かった。

本編ラストは「僕あたしあなた君」。観客に歌わせると、思った以上にみんな歌えて驚きつつうれしそうな菅原さん。楽しすぎると泣けてくるし、泣くことを忘れるくらい楽しいこともあるんだなと思った。

アンコールでは、渋谷さんのお色直しもあり(さらに良い服だった)、なんともハートフルなモードで「夕方とカミナリ」へ突入。

やったらやりっぱなしの僕だけどさ

君が「夕方」なら僕は

「カミナリ」を打てるくらいの

才能を 努力を 情熱を 放ってやる

 

ーさよなら、また今度ね『夕方とカミナリ』

なんて素敵な歌詞なんだろう。

アンコールラスト曲は「信号の奴」。終わってほしくない気持ちもあったけど、マジでやってほしい曲を全曲やったな、と思ったので、本当に嬉しかった。

 

アンコール終演後、大円団、ということで、渋谷さん以外の3人が手を繋いでお辞儀して退場。PUFFYの「愛のしるし」が流れ、ひとり取り残される渋谷さん。真顔でモニターに顔が大写しにされる。あんなにかっこいいライブをやった後でも、12年ぶりでも、関係なくふざけ切るのがさよ今。

そして終演かと思われたが、アンコールの手拍子が鳴り止まず、予定外のダブルアンコールに。もう既に練習した曲をすべてやり終えてしまったため、やってほしい曲を拍手の量で決めることに。選ばれたのは「僕あたしあなた君」。2回目なのにもっと嬉しい。美しく!美しく!美しい!美しい!と本気で思った。

最後は渋谷さんも加わって、4人で並んでお辞儀。さすがにふざけ切れないよね、こんなにエモーショナルな日は。夢みたいだ。

 

仕事上ではAIを信じているし頼っているが、気持ちの面では割り切れていない

仕事上ではAIを信じているし頼っているが、気持ちの面では割り切れていない。

 

生成AIの普及以降、自分の仕事にもどんどんAIが入り込んでいる。入り込んでいるというか、使いまくっている。特に去年からはAIエージェントが普及してきて、チャットを一行打ち込むだけで、Googleカレンダーに予定を入れ、notionに学習内容を共有し、Gmailでメール作成もできるなど、あらゆることが可能になっている。

AIエージェントを駆使している人間は多くなっているが、地方の中小企業の社員ではやや珍しいので、社内でAI活用の推進役を担うこともある。しかし、AIの話をすればするほど、どんどん虚しくなっていく自分に気付く。

既にTwitter上のテキストの多くは生成AIによって書かれている。いわゆる「インプレゾンビ」の文章もそうだし、2026年に実装された長文投稿機能(Articles)で投稿される文章のほとんどがAIで書かれているか、推敲やアイデア出し、構成など、何らかの形で生成AIが使われていると思われる。

Twitterだけではない。仕事で目にするメール、社内のTeams投稿、さらには休日に読む小説まで、あらゆるテキストはAIに侵食されている。もはや人間が書いた文章とAIが書いた文章の見分けはつかない。作品のほとんどを生成AIの出力で作り上げた短編小説集を出版した作家の樋口恭介さんは、読売新聞の取材に対して「どこまでが人間の執筆で、どこからがAI執筆だったのかを、後から追えなくなる。今が歴史的な臨界点だ」と語っている。

AIと小説「今が歴史的臨界点」 ほとんどAIで作った実験短編集を刊行 樋口恭介さん : 読売新聞

この文章はAIを一切使わずに書いている。しかし、このことを信用してくれる人はどんどん減っていくだろう。文章を書くことにAIは必須になりつつある。たとえば小説家が手書きの原稿用紙からワープロ、そしてパソコンでの創作に変わったように、自然な流れで置き換わっていく。

遅かれ早かれ、人間はAIを生活のあらゆる行為に組み込むようになる。労働、アート、音楽、執筆、宿泊、移動、契約。どんどん我々はAIを使う。この流れは不可逆だ。スマートフォンなしでは生活できないように、AIなしでは暮らしていけなくなる。

その先の未来に何があるのか。利便や理解を超えて物事が通り過ぎていく時代が到来する。まるでマリオカートで「ダッシュ床」(踏むと加速する矢印模様のギミック)のある場所だけをひたすら通っているかのようだ。なんだかわからないけど速い。わからないうちに、今まで1時間かかっていたことが1分で終わる。AI、あるいはダッシュ床の開発者ではない我々が分かるのは、速いということだけである。

だから、自分がAI活用について、何を言っても、結局は「ダッシュ床を踏むと速いんですよ」みたいな話になる。

速いのはわかる。けれど、生活はマリオカートではない。速くてなんの意味があるのか。AIがとても便利で、賢くて、世界を変えていて、誰かを救って、役に立つのかは知っている。その上で、改めて思う。

速くてなんの意味があるのか。

日本の道路交通法は1960年に交付された。交付の際に、一般道路の上限速度は60km/hに設定された。それから60年以上が経った今も、一般道路の上限速度は変わっていない。おそらく今であれば300km/h以上の最高速度を出せる車は作れるはずだ。さすがにそれは極端だとしても、100km/hくらいなら市販されているどんな車でも簡単に出すことができる。また、安全装置や自動運転の開発も進んでいる。危険性や運転技術などをテクノロジーで解決することは、その気になればできるだろう。

けれど乗用車の速度は60km/h上限のまま変わらない。なぜか。これ以上速いとついていけないからだ。速さに身体が間に合わない。同様に、AIによって処理や出力が極端に高速化すると、身体が間に合わない。

AIの台頭、普及によって、「人間にしかできないこと」に注目が集まっている。よく挙げられるのは、身体性である。AIは身体を持たない。人間は身体を持つ。だから、身体性こそが人間を人間たらしめるものだ、と、信じられている。

しかし、AIの驚異的な速度を前にして、身体はもはや不要であると言える。身体が、理解が、脳が、感情が、ボトルネックになる。働けば働くほど自分が不要になっていく感覚。自動的にダッシュ床を踏まされて、どんどん先に進んでいる。この先の未来に何があるというのか。だから仕事中、みんなも速く走れ、つまりAIを使えと言っている自分が、とても虚しくなるときがある。

仕事を離れれば、今はAIを使わなくていい。自分の意志で、ちょうどいい速さで進むことができる。私は私の不要な身体を取り戻す。取り戻せるうちはいい。いつか生活にAIが入り込み、身体がどんな時でも要らなくなるときに、どんな生活が待っているのだろう。