SENDAI CITY LIFE MAGAZINE

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『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』大前粟生(河出書房新社)

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ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい。印象的な題名と、イラストレーター・umaoさんによる、かわいらしいけれどなにかを訴えかけてもいそうな装画に惹かれ、大阪にあるtoi booksさんの通販で購入した。

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表題作「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」の他、4篇の小説が収録されている。共通して描かれているのは、「やさしさ」と「繊細さ」の微妙なバランスの中で社会や他者とどう関わり繋がっていくのか、およびどういった心持ちで生きていくのか、というもの。日頃自分が考えている事柄に近いものも多く出てきて、共感というよりは共鳴のような、とはいえだれかが考えていることと自分の考えるそれを同一視してはならないような、自分の言葉で規定してしまうと形がかわってしまう類の感情を抱いた。文中に出てくるモノローグに線を引いて、自分はどうだろうかと考えるとひたすらに胸が詰まった。だからこそ、多くの人に読まれてほしいけれど、すべての人に読んで欲しい!おすすめ!などと乱暴な声で主張したくなくて、少なくとも自分の友人やすきな人たちがこれを読んでくれていたら嬉しいなと思う本だった。

ジェンダー文学」と銘打たれてはいるが、特にジェンダー問題に深くかかわりを持ってこなかった方でも、小説の中で描かれている繊細さや切実さは十分に伝わるものがあると私は思う。「こわがらず、侵害せず、誰かと繋がりたい」という気持ちや、「関わりたくないものとも、付き合っていかなければならない」ことに対しての気持ち。日常にあふれる加害性への気づき。私はこれを「感性」と呼んでほしくはなくて、あたりまえにあるものとして捉えていきたいと思った。

 

以下、小説の内容に触れて感想を記すので、未読の方やネタバレを避けたい方はスクロールをしないようお願いしたい。なお、現在toi booksで『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を購入すると、作者・大前粟生さんの書き下ろし掌編ポストカードが付いてくる。もちろん、AmazonやHontoなどのオンライン書店でも購入できるので、お買い求めの際は自分の好きな場所から買って読んでくれたらうれしい。

 

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』書籍情報

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』大前粟生

176ページ 1600円+税 河出書房新社

装丁=佐々木俊(AYOND) 装画=umao

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』大前粟生 ※書き下ろし掌篇ポストカード付 | toi books

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい :大前 粟生|河出書房新社

 

 

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』感想

「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」では、"男らしさ"や"女らしさ"の「ノリ」が苦手な大学2年生の主人公・七森が、誰かと恋愛をすること、繋がることについて模索する。高校時代、七森は小柄で、女の子みたいとよく言われ、「安全な男の子」として女子たちに楽しまれ、また男子たちとの間でも「その場のノリに合わせて人形みたいに愛想笑い」をしてきた。七森は恋愛が楽しめない。恋愛対象として好き、というのがどういうことかわからない。けれど、大学生になり、恋愛をしてみたくて、「ぬいぐるみサークル」の友人の白城と付き合うことになる。そのことで、選ばずとも生物学上は男性として生きていく中で、何かに傷つく、もしくは悲しむたびに「男性」の加害性を直視せざるを得ないこと、あるいは自分もだれかの加害者として存在していることへの疚しさに気づく。

七森視点で文が進むものの、文中でするりと他の登場人物の視点に入れ替わり、それぞれの気持ちや言葉が浮かび上がる。読み進めていくなかで、自分は七森と白城のだいたい中間にいるかもしれないなと思った。けれど、決して一直線上にあるものではなくて、地上から見える星たちがそれぞれどれくらい離れているかわからないような、あいまいな中間といった感じだと思う。

 

登場人物の中では、「ぬいぐるみサークル」に所属する鱈山さんの印象がとても強い。鱈山さんはサークルの創設者で、わざと留年や休学を繰り返して4回も4年生をしている。鱈山さんは銃乱射事件のニュースを見て傷付いたり、しんどさや生きづらさを抱えたりしている。

「つらいことがあったらだれかに話した方がいい。でもそのつらいことが向けられた相手は悲しんで、傷ついてしまうかもしれない。だからおれたちはぬいぐるみとしゃべろう。ぬいぐるみに楽にしてもらおう。」

「ぬいぐるみサークル」は「ぬいぐるみとしゃべるサークル」で、部員たちは各々、ぬいぐるみとしゃべる。だれかがぬいぐるみと話しているとき、他の部員たちはその声が聞こえないようにイヤホンをする。

ここでの人たちがぬいぐるみにしゃべるようなことを、だれかは直接人に話し、だれかはSNSに書き込み、だれかは頭の中で自問自答し、まただれかは何も言えないで抱えているのかもしれない。部員の中で、七森と白城はぬいぐるみとしゃべらない。

七森がはじめてぬいぐるみに話しかけるシーンがある。そこでの言葉がとても印象的だった。できれば本の中で体感してもらいたいので、ここには引用しない。七森がしゃべったようなことを自分もよく考えている。しかしそれは共感ではない気もしている。それぞれの人間の中にある、それぞれの感情だと思うから。

 

作品は一応、前向きに締められている。しかし、その明るさの中に残酷さがあると私は感じる。はたして、本当に「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」のか、その「やさしさ」はやさしさと呼べるものなのか、考えずにはいられない。やさしすぎる人を「やさしさから自由にしたい」と思う白城の気持ちも痛いほどわかる。「真綿のような小説」という作詞家・児玉雨子さんの解説がすさまじい。「みちみちにくるまれて窒息しそう」になる感覚で胸がいっぱいになるとは、まさにその通りだと思う。

 

大前粟生

1992年、兵庫県生まれ、京都市在住の小説家。2016年、短編小説『彼女をバスタブにいれて燃やす』が「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」公募プロジェクトで最優秀作に選出されデビュー。2020年、河出書房新社より『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を出版。

全身全霊で女性差別に傷つく男の子の話 ――大前粟生『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』刊行に寄せて|Web河出